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小説、映画、音楽の感想など

映画 レディ・プレイヤー1

※ネタバレあり

オタク vs 営利企業の近未来SFサスペンス。

 

没入型のバーチャル世界の管理者権限を巡って、貧困層の若者達と殺人も辞さない営利企業の経営者とが対決する。敵の社長?も、株主の為に動いているに過ぎないところは見ておくべきかと思う。

 

カーレースゲーム、ホラー映画、MMO、格闘ゲーム、初期の家庭用ビデオゲーム、等を舞台にしつつ、1980〜2000年位のアニメ、ゲームのキャラクターがたくさん登場する。日本のロボットアニメや特撮、ゲームも。それらが同じ画面に出てくるのは楽しい。序盤のカーレースゲームの暴力性は激しく、動体視力がついて行けず、何が起きているのかよく分からなかった。

 

冒頭のvan halen の Jump! (1984)からして、1980年代のサブカルチャーにスポットが当たっているなと感じた。近未来の貧困層の住む集合住宅と、バーチャル世界のギャップを演出するのには、80年代のポジティブでハイテンションな歌が良かったのだろうか。ターゲットとしているのが60歳、35歳、10歳という3世代という事だろうか。60、70年代はアメリカン・ニューシネマの時代か。それ以降のこの40年間はスピルバーグがハリウッドと世界を制覇する過程で、その高らかな勝利宣言に思えなくもない。

 

しかし、観終わってすぐは何も残らない映画だなというのが私の感想だった。理由は結末だ。オタク文化讃歌になるのかと思っていたが、やりたい事を仕事にしつつ安定した雇用と、若くてかわいくてセクシーで親の不幸のトラウマがあってツンデレ気味の女を手に入れてめでたしめでたし、というハッピーエンドに見えた。まあそれはオタクの男の夢だろうが。それでいいのだろうか。

 

という気分で、楽しい2時間だったがどうも興醒めした気分でいたが、話の筋としては謎解きのクエストがある。巨大バーチャル世界を作った開発者(自閉症スペクトラム障害のように描かれる)の内面に関わる謎を解くことが鍵だ。繊細な心を持ちつつ、他人とうまくやれない男を理解することがクエスト攻略のヒントになる。そして最後のセリフ。

 

人はデリケートな心をもっており、その心にアクセスして信頼関係を作ることは、何よりもスリリングでおもしろいゲームなのだということではないか? だとしたらやけにリアルの大切さを強調した終わり方も良いと思う。

 

追加(ネタバレ)

と、観てから1日経ってようやく気付いたことがある。バーチャル世界設計者は生きているのだと思う。最後の方にバーチャル世界のリセットボタンを主人公に教える場面がある。その時にリアル世界でアクシデントがあり、危うく主人公がボタンを押しそうになる。その際にとっさに設計者が言うセリフは、人工知能で言えるものではないのではないか? 先にクエストの成果である鍵を渡す時にも、受け取らないのか?とインタラクティブに応答する場面があったから、こちらも人工知能で返答できる範囲とも言えなくもない。しかし、主人公がわざわざ質問までするのだ。セリフでの答えを素直に受け取ってしまったが、私が鈍かったと思うべきか。

 

 

 

 

 

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本 間文化主義

 

間文化主義: 多文化共生の新しい可能性

間文化主義: 多文化共生の新しい可能性

  • 作者: ジェラール・ブシャール,丹羽卓,荒木隆人,古地順一郎,小松祐子,伊達聖伸,仲村愛
  • 出版社/メーカー: 彩流社
  • 発売日: 2017/12/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 ここ数年私が考えていた事をうまく言い表してくれている書名だと思って衝動買いした。しかしinter-culturalismeの訳だとちょっと当初のイメージと違うかも。「間」という文字に、緩衝地帯的な物を私は当初想像していた。

 

一読目

パラパラと捲った所、間文化主義は多文化主義の誤作動を解決する物として考えられたアイデアの様だ。アメリカは多文化主義を標榜しているが、現実に起きているのは二元化(マジョリティである白人文化と、マイノリティであるそれ以外)と、それへの同化のプレッシャーだ。

それに対して間文化主義は現実にあるマジョリティ文化とマイノリティ文化を明言し、それらのバランスを取る社会制度を考えようとする。同化ではなく統合を目指す。

著者はカナダのケベック州を例に説明しており、具体的には情報量が多くて私は目を掠めた程度だ。

訳者達は日本に有効なアイデアと考えている様だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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本 異文化コミュニケーションのAtoZ

 

改訂版  異文化コミュニケーションのA to Z ― 理論と実践の両面からわかる

改訂版 異文化コミュニケーションのA to Z ― 理論と実践の両面からわかる

 

 この分野を勉強しないと先に進めない気がしている。体系化出来ているのだろうか? 単なる分類だけでなく、因果関係を説明する理論があるのだろうか? 

時間はかかりそうだが読み進めて行きたい。

 

と思ったが、第1章でいきなり次の文に出会った。

コミュニケーションの達人でなければ、コミュニケーション学が(原文ママ)教えられないとすれば、フェミニズム学を教える人が女性でなければいけない、のといっしょです。(p.1)

後半が「フェミニズムの知識が多くない人が他人にフェミニズム学を教える事は出来ない」なら私は分かる。しかし「女性でなければ」という仮定は、「当事者かどうか」という条件に話をすり替えていると私は思う。コミュニケーション学が学問として蓄積を持つなら、コミュニケーションの達人でなくてもコミュニケーション学を教えられると思うが(学生が忍耐強く理解力があれば)、しかし教師がコミュニケーションをとる当事者である必要はあるだろう。

コミュニケーションの中に教える、教えられるという行為を含んでいるから話がややこしいのだろう。

経済学者だってバブルを予知できなかった、ともあるが、バブルの定義として予知できない物なのではないか?

 

p.25 の認知過程のモデルは役に立ちそうだ。情報から行動までの間を、受け入れ、解釈、価値判断の3つに分けている。遅延、複数のステップがある事、は私が関心を持っている事の説明に使えそうだ。

しかし違和感があるのは、受け入れと解釈は比較的普遍で、価値判断は文化差、個人差があると書いた所。受け入れは物理的レベル、解釈は受け手の既存のコード上に配置する事かと思うが、こここそ異文化コミュニケーションの難しい点であり、暗号解読のようなおもしろい所ではないかと思う。しかしこれは私が自分の関心に引き寄せすぎている事もある。

 

結構色々な分野の説のコンセプトの紹介があった。ガダマーの解釈学は思っていたのと違っておもしろそうだと私は感じた。ただ各説がそのまま紹介されているようで、もう少し初心者向けに説明してほしいと思った。

 

 巻末の大量のクリティカル・インシデント集はおもしろくて為になる。世界には私の知らない事が沢山あるなと思った。

 

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映画 ペンタゴン・ベーパーズ

1971年、ザ・ワシントン・ポストベトナム戦争の最高機密文書を公表するかしないかで悩む。

 

スパイ映画的な話かと思っていたが、メリル・ストリープ演じるワシントン・ポストの経営者が男の筋書き通りに話す状態から、自分の意思で決断するまでの成長物語だった。報道の役割、女性の経営者、邪悪な大統領、というテーマを上質の映画という形にして現代アメリカにぶつけてくるところがさすがスピルバーグ

 

経営者室から編集部、そして印刷室とメリル・ストリープが降りてくる描き方はコテコテだが具体的で良い。おそらく今はデジタル化されて消えたと思われる活字印刷の工程のフェテッシュな描き方も良い。そうこなくちゃ。

 

トム・ハンクスの登場の仕方はわざとだと思うが地味で、顔が正面から描かれるまでに数分かかる。髪型もいつもと違う(多い)ためか、初めまったく別の人だと私は思っていた。それが、独特の声と話し方で、あれ、もしやこの男は、と思ったら彼だった。クライマックスでメリル・ストリープが決断をする前に、言いたいことはたくさんあっただろうに後はメリル・ストリープに任せて、自分はほんの一言しか言わないアシストの仕方、そしてその完璧なタイミングと反射神経、なんという助演力。

 

唯一の不満は、メリル・ストリープが成長して決断できるようになる過程やきっかけがよく分からなかったこと。トム・ハンクスが彼女の責任を理解するには、妻が教えるという説明があった。これもドラマとしては弱く、一緒に困難を乗り越える事で自分の足りないところを自覚して相手を理解し、変化する、というドラマを作って欲しかった。実話が元だから出来なかったのか。それとも、メリル・ストリープトム・ハンクスが初めはお互いに反発し合っている、という設定は女優と俳優が偉すぎて描けなかったのか? 

 

事実ベースのサスペンスにするか、女性の成長物語にするか、二兎を追おうとして中途半端になってしまった。理由は、前者をトム・ハンクスと同僚が、後者をメリル・ストリープがそれぞれ担当して、トム・ハンクスをかっこよく描きすぎたからだ。この二次方程式の解は、トム、メリルの両者ともに欠点があり、反目し合っている状態から開始した、ピンチをくぐり抜ける過程でお互いをリスペクトするようになって、これまで嫌っていた要素を相手から取り入れる事でそれぞれ変化する、という物だ。この時変数AはBによって説明され、またその逆も成り立ち、一元化する事で値が導き出される。理想的な解としては、A=1-Bというものだ。

 

私の勝手な案としては、例えば具体的には、トムは事実を追う事には優れているがその為に部下を危険な目に合わせて後悔する。人は真実だけでは生きていけない。一方メリルは従業員を養うので精一杯でその為に政権に屈服して真実を伏せようとする。お互いに相手を嫌悪しているが、共通の敵としてニクソンが悪質な手を使ってきた事で協力する。メリルが嘘をついてでも会社と従業員を守ろうとするところを見てショックを受けるトム。また同時に真実を追求するために体を張るトムを見て、アメリカの民主主義という大きなものを守ろうとしているトムを見て、ただの仕事を超えた価値に気付くメリル。そして両者が協力してニクソンの謀略を撃破していく…となると、おもしろいのだけど。しかし事実に基づく話なので、盛りすぎてはいけないか。

 

ともあれ、トム・ハンクスを完璧に描いてしまったことがこの映画のミスだ。

 

いや、しかしトム・ハンクスも真実を報道することというより、ライバルのニューヨーク・タイムズに勝ちたいという欲望が前面に出ていたな。段々この映画がよくわからなくなってきた。

 

 

 

 

 

 

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映画 ニッポン国 VS 泉南石綿村

http://docudocu.jp/ishiwata/

 

アスベスト訴訟運動に関わる人を追ったドキュメンタリー。

 

原告側の人たちがここ数年で次々に亡くなっていく。原告団もそれぞれの考えがあったり、喜怒哀楽が濃厚だった。

 

60〜80歳の人たちのたくましさと強さを感じた。

 

訴訟の法的な論理もあれば、感情や圧力という運動的な部分のぶつかり合いが根底にあるように感じた。

 

人間に着目する描き方は良いが、判決の根拠をもう少し説明して欲しかった。これだと、感情的に圧力をかける集団という面が強調されてしまっていた。わざと「本当には納得していないんじゃないですか?」としつこく追いかけてカメラを回すところもあった。ドキュメンタリーと言いながら、物語やキャラクターに押し込めようとする欲望を感じた。

 

 

厚生労働省の窓口対策として、若手を出して話を聞いて終わりにさせようとするやり方、塩崎厚生労働大臣当時の人たらし的な態度には、権力とは怖いなと思った。

 

出てくる明るい表情の女性が印象的だった。裁判で勝訴判決から外されたり、子供の頃から石綿を吸って人生を壊されているのに、なんで笑えるんだろうと不思議なくらい素敵な笑顔だった。その息子さんも本質を認識して静かに怒る男で、何かすごい人たちだと思った。

 

 

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小説 8月の光 フォークナー

八月の光 (新潮文庫)

(読み途中)

学生時代に加島祥造さんの訳で『サンクチュアリ』を読んで、詩的で美しい訳だと感銘を受けた。なんということはないのに不安にさせる緊張感。酔っ払って千鳥足で歩く時の夢の様な描写。言葉で、しかも翻訳なのにすごいと思った。未だに仕組みが分からない。

 

未だパラパラと拾い読みしている。男主人公のクリスマスが中年女性の愛人になる所は謎の間がある。登場人物が自分で自分の事を分かっていないし、さらには書き手すらも神の視点ではなく、何故なのか分かっていないのだ。

 

 

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映画 リメンバー・ミー

去年、本を読む集中力が無かったので、私は映画を多く観た。数えたら35本ぐらい観たようだ。月平均3本か。

今年は映画を減らして別の事をしようと考えている。その中でもこの作品は映像が綺麗そうだったのと、生死というテーマに惹かれていたこともあり、ふと時間ができた時に観に行った。

メキシコ?あたりの町で、音楽を禁止された少年が音楽コンテストになんとか出場しようと禁を破った時に生者と死者の境界にバグが起きてある固定化した秩序に動揺が起きる。

最高だった。所々今になって思うとおかしく感じる点もある。ある秘密が後半まで分からないが、無理があるのではないか。ある曲を聴いた時、反応が薄すぎないか。

ある人物が最後のクライマックスで歌に踊りに大活躍するが、伏線としてほんの一瞬歌うだけなのは起爆力が足りないのではないか?

主人公の父と母の造形が弱く、ラストになぜ父があの行動をとれたのかがわからない。

などと思い返すと気になったが、クライマックス後のラストシーンまでの恍惚感がずっと続く流れにやられてしまった。これまで描かれなかった部分が全て当てはまっていく感じ、生と死が混沌として祭りと音楽と踊りの中でぐるぐると回りながら高まり空に吸い込まれる。それまで満たされなかった物が全てこのシーンのためにとって置かれたような畳み掛ける描写。演出や構成に粗があってもいい、ラストシーンの構図で締められた時に全てが肯定された。最高だった。

 

 

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