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小説、映画、音楽の感想など

小説: スフレ・オ・ショコラ(チョコレートのスフレ)

【第4回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - 短編小説の集い「のべらっくす」

ゼロすけさんの のべらっくす という短編小説応募企画にまた応募させていただきます。

お題は、「お菓子」です!

何を言いたいのか自分でもよくわからない話になりましたが……。もう少しちゃんと結末を書くべきと思いますが、力不足と時間切れのため、これで投稿いたします。

ーーー

スフレ・オ・ショコラ(チョコレートのスフレ)


底の浅い鍋に入れた牛乳が沸騰しかけている。
白い液体の中には叫び声が充満し、もうすぐ熱い気泡となってはちきれるだろう。
白真珠のようにつややかな泡に自分が映り、この部屋が映り、すぐに割れて消える、それまで見ていたい――。

泡が1つ,また1つはぜた。
有原三葉子は牛乳を熱している目的を思い出して、コンロの火を止めた。
鍋からボウルに牛乳をゆっくり注いでいく。
ボウルの中にはバターと薄力粉を混ぜたペーストがあり、熱い液体をかけられると逃げるように溶ける。

それから鍋にもどし、弱火にかけながらチョコレートと卵半分、卵黄2つを投入していく。
白かったペーストに焦げ茶色のチョコレートが溶け出して浸食していくことに喜びを感じ、三葉子は泡立て器で隈なく追い込んでいった。
チョコレートの溶けた香りを吸い込むと、森の中にいるように心が落ちつく。
鍋の内側が均一な薄茶色に彩られると火を止め、ボウルに移した。

次はいよいよメレンゲづくりだ。その前に一度泡立て器を洗わなくては。三葉子は水道水の蛇口をひねると、粘っこいチョコレートの付いた泡立て器を流水に突っ込んだ。飛沫の中からステンレスの銀色が現れてくる。
泡立て器の先端をもみながら、子供のころは泡立て器についたクリームを舐めるのが好きだったことを思い出した。子供はだれでもそうだろう。1本1本のステンレスの線を舌先でなぞるのは探検をしているようだったし、すると泡立て器についたクリームは南極大陸を覆う氷に相当するだろう。泡立て器をこっそり舐めさせてくれたのは父だった。三葉子は泡立て器を振って水を切り、タオルでぬぐった。

卵白2個分とグラニュー糖を空気が混ざりやすいように大きめのボウルに入れる。この透明な液体から角が立つほどの泡の白雲ができるとは、メレンゲを作るたびに根拠の無いことのように思え、途方に暮れた気分になる。スフレの作り方を教えてくれた父は、子供の頃のわたしが半信半疑でいるのを楽しんでいるようだった。
父は特段料理をする人ではなかったが、フランスのお菓子作りが好きだった。タルト・タタン、クリーム・ブリュレ、フィナンシェ等。その中でも、スフレは思い入れがあるようだった。
卵白を泡立てながら三葉子は自分が昔を思い出していることを自覚しつつあった。自分自身を取り戻したいという欲求が、子供の頃の父との思い出をいまレコメンドしてきたのではないだろうか? 三葉子はそれを受けいれてよい、という気になっていた。

映画『麗しのサブリナ』を三葉子がDVDで観たのは社会人になってからだ。そしてこの映画の前半でオードリーがパリに留学して料理学校ル・コルドン・ブルーで学ぶシーンがコミカルに描かれる。父はオードリー・ヘプバーンが好きだった。父は『サブリナ』を観てオードリーに憧れ、真似して卵を片手で割る練習をするところから始め、次第にフランス菓子づくりを趣味にするようになったという。三葉子は子供のころそう父の菓子作りの背景を聞いていた。

だが実際に『サブリナ』を観て思ったのは、父はオードリーよりもむしろ、パリの料理学校でオードリーを慰める老男爵に憧れていたのではないか、ということだ。
劇中で、裕福でありながらスフレ作りを学ぶために料理学校に通う老男爵はとてもキュートで知的な人物として描かれる。失恋して落ち込み、スフレづくりも失敗したオードリーが「私は届かない月に恋をしているの」と言うと、老男爵が「君は若いのになんて古い考えをしているんだ。いまは20世紀。ロケットを月に飛ばす時代だよ」と言って励ます名シーンをDVDで観て、三葉子は思い当たる事があった。

数年前、就職活動で書類選考や面接に落ち続けて三葉子が一時期実家で休養していた時、父が言った。いまは21世紀、英語とコンピュータ―を使えれば宇宙でも仕事がある時代だよ。三葉子は苦笑いしたものだった。お父さん、私どっちもできないよ。
当時は何の役にも立たないアドバイスだと思ったが、ようやく日本での仕事も落ち着き恋人と一緒に住むようになったころ部屋で『サブリナ』を観て、三葉子は思うところもあった。
三葉子は学校を卒業後、ワーキングホリデーを使ってオーストラリアのホームセンターで働いた経験を経て、いまはカナダのオフィス用品メーカーの東京支社でマーケティングの仕事をしている。英語もパソコンも使っているが、宇宙はまだ遠いだろうと思う。


メレンゲの肌理が整った。
先ほど作った卵とチョコレートのペーストと混ぜ合わせ、白いココットの器いっぱいにつめ込む。あふれた分は1本の箸ですりきって頭をまった平らにする。最後に、親指の先で器の縁の内側を一周して溝を作る。こうすると焼くときに、スフレの頭の部分がまっすぐ上に伸びていくのだ。

2人分のスフレ生地ができた。あとはオーブンで焼くだけだ。
そしてここからがスフレ作りの本番だ。

温度を200度に設定したオーブンから響く音を聴いていると心が無時間の空間に吸い込まれそうな気になる。
三葉子は音楽をかけたくなった。
しかしリビングからも音楽が聞えてくる。
康二が仕事をしながら音楽を聴いているのだろう。

2つの音楽がぶつかり合わないように。
三葉子は椅子に置いたノートパソコンの音量レベルを下げてから、音楽管理ソフト上のプレイリストの1つをクリックした。

「calm」という名前を付けたそのプレイリストには、三葉子が心を落ち着けたいときに聴く十数曲が収められている。
シャッフル機能によりランダムに再生されるこれらの曲がすべて終わるころには、結論が出ているだろう、と三葉子は思う。
水切り遊びの白い小石のようにピアノの高音が鍵盤の上を軽く跳ねていき、ビル・エヴァンスのトリオによる「ワルツ・フォー・デビイ」の演奏がはじまった。

リビングにいる康二に声をかけよう、康二に。お茶の時間を。始めよう――。マウスから指を離して腰を上げると軽く立ちくらみがし、三葉子は目を閉じる。ピアノの音が暗闇の中で波紋のように広がる。このごろ立ちくらみが多い。どうすればまっすぐ立てる――? 薄く目を開けてフレンチネイルにした指先を見る。薬指の爪の根元にだけビジューがついている。三葉子はゆっくり指を折り曲げ、親指の腹でビジューの無機質で固い感触を確かめた。眼窩骨でも乳首でも骨盤でも、自分の体の突き出たところに触るのは心が落ち着く。それらのでっぱりは不自然で孤独な感じがする。三葉子はそれらをいとしく思った。

ダイニングからリビングを眺めると、同居人の和田康二がカーペットの上に正座し、地味なローテーブルに置いたノート・パソコンに向かっていた。仕事をしているのだろう。ソファに背を持たせかけず、妙に姿勢よく床に正座する康二の姿を、かわいいと感じる事もかつて三葉子にはあった。マンション4階の窓から午後の気の抜けたような光を受けている彼のシルエットを見ると、三葉子は胸の中で車をアイドリングする音が響くような気がした。排気ガスが胸に充満していく。三葉子は軽く咳ばらいをした。リビングルームの一辺を占める木製のテレビボードの左右に置いたスピーカーからは何かバロック音楽カンタータが流れている。康二は写本室の修道僧のようにノートパソコンの画面をのぞいているが、あの首の角度では頸椎に悪いだろう。

「ねーえ」
三葉子は声帯に力を入れ、努めてかわいらしい声で言った。
「お菓子の準備できたからこっち来なーい?」

スコット・ラファロのベースの音が1つか2つ入るほどの間があった。
「あー、うん。ありがとう。行くー」
康二の返答の声が、やや高く金属質だった気がする。緊張している?
答えるまでの一瞬、康二は何を検討していたのだろうか? 検討?
なぜ、ありがとう、とお礼の言葉を入れるのだろうか? わたしに対して気を遣っている? というメッセージ?

ノートパソコンの上端に手を掛けて画面を一瞥した後、康二が勢いよくモニター部分を伏せた。間を開けずに正座の状態から片膝を立てて立ち上がる。
ノートパソコンを閉じる前に確認する必要はあったのだろうか? やけに短い一瞬だった気がする。具体的に確認すると言うより、仕事はまだ途中で気掛かりだという気持ちの表れ? にもかかわらず大きめの音をさせてモニターを閉じ、そのあと立ち上がる挙動が切れ目なく続いたのは完全に仕事のことは頭から追い払った、俺は思い切りのよい、さっぱりした気持ちの良い男だ、という意味だろうか?

康二がさわやかそうな笑いを浮かべてダイニングへやってきた、と突然モデルウォーキングのターンのように背を向けてリビングへ戻っていった。三葉子が見ていると、康二は音楽プレイヤーのデッキに取りつけたスマートフォンをに触れ、リビングを満たしている音楽を止めた。三葉子がダイニングでかけている音楽に気付いたのだろう。こういう時に康二はなにも言わずに行動する人だ。「あ、向こうの部屋の音楽消してくるね」のような一言があれば、急に180度回転してダイニングから出て言った理由も三葉子に分かるのに、言わなくてもそれくらい理解しろということなのだろうか? すばやく行動に移すことで自分は頭の回転が速いという証明でもしようとしているのだろうか?

おそらくそこまでは康二は考えていないだろう、これから私がダイニングでお菓子を振る舞うので、このダイニングでは私の方が主人と言う優劣の判定があり、その序列に基づきリビングの音――たぶんバッハ――を消して私の聞いている音楽を優先するべき、という行動のプログラムがはたらいたのだろう。これまでの生活で康二が何も言わず唐突に行動することが何度もあり、すると三葉子は観察して法則性を推定する。しかしこのごろは新しい発見も乏しく、康二の中に知性と言うよりは、いくつかの素朴なプログラムを感取するのだった。


康二はさっきより笑顔の彩度を落としつつ、あらためてダイニング・ルームに来た。
ホワイトオークで作られたダイニング・テーブルに食材や食器が寄り添うように置かれている。
それら、ボウル、コーヒーカップ、スプーンなどはやけに密集して三葉子の側に集まっている。その向こうにいる三葉子をチェスの駒のように守っているみたいだ、と康二は感じた。

「なにができるのかな?」
康二は「できあがった物だけ食べさせてもらえればいい、作る過程に立ち会うのは時間がもったいない」とは思ってはいけない、と注意しながら訊いた。そんなことは俺は考えてはいない。できるだけ楽しみにしているように、しかし大げさにならないように。親しみをこめて、しかしなれなれしくはなく。

「できるというか、これから作るんだけどね。チョコレートのスフレ。一応、バレンタインということで」と三葉子が顔を横に向けてぶっきらぼうな口調で言った。照れているのだろう、とこれまでの付き合いから康二は思った。いまの自分たちのようにほころびつつある関係でありながら、このようにバレンタイン行事に加わることに気恥ずかしさを感じ、またそれを隠そうとするかわいらしい一面をまだ持っているとは、と康二は感動すらした。しかし……「できる」と「これから作る」は何が違うのだろう?

「じゃ、これから焼くから一緒に時間見ていてくれる? 15分。スフレは焼く時間が勝負だから。もちろんわたしも見るけど――それから、焼きあがったらすぐ食べないと。だからこっちに来てもらったの。オーブンから出したらどんどんしぼんでいっちゃうからね……」
三葉子がミットを付けてオーブンを開けた。
熱気がダイニング・ルームにあふれる。

スフレ生地を詰めたココットを2つ天板に並べながら、三葉子はこれから康二と重要なことを話さなくてはいけない、と考えていた。

「一番おいしい瞬間を過ぎたら、スフレは意味なくなっちゃうからね」

それはいつだったのだろう。

15分間。
三葉子はオーブンを閉じた。


(終わり)


参考図書:

パティシエに教わる 人気のお菓子

パティシエに教わる 人気のお菓子

出てくるお菓子がどれもおいしそうです。
上の記述でそう見えなかったら私のせいです、すみません……。

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