I'm not OK

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映画 ペンタゴン・ベーパーズ

1971年、ザ・ワシントン・ポストベトナム戦争の最高機密文書を公表するかしないかで悩む。

 

スパイ映画的な話かと思っていたが、メリル・ストリープ演じるワシントン・ポストの経営者が男の筋書き通りに話す状態から、自分の意思で決断するまでの成長物語だった。報道の役割、女性の経営者、邪悪な大統領、というテーマを上質の映画という形にして現代アメリカにぶつけてくるところがさすがスピルバーグ

 

経営者室から編集部、そして印刷室とメリル・ストリープが降りてくる描き方はコテコテだが具体的で良い。おそらく今はデジタル化されて消えたと思われる活字印刷の工程のフェテッシュな描き方も良い。そうこなくちゃ。

 

トム・ハンクスの登場の仕方はわざとだと思うが地味で、顔が正面から描かれるまでに数分かかる。髪型もいつもと違う(多い)ためか、初めまったく別の人だと私は思っていた。それが、独特の声と話し方で、あれ、もしやこの男は、と思ったら彼だった。クライマックスでメリル・ストリープが決断をする前に、言いたいことはたくさんあっただろうに後はメリル・ストリープに任せて、自分はほんの一言しか言わないアシストの仕方、そしてその完璧なタイミングと反射神経、なんという助演力。

 

唯一の不満は、メリル・ストリープが成長して決断できるようになる過程やきっかけがよく分からなかったこと。トム・ハンクスが彼女の責任を理解するには、妻が教えるという説明があった。これもドラマとしては弱く、一緒に困難を乗り越える事で自分の足りないところを自覚して相手を理解し、変化する、というドラマを作って欲しかった。実話が元だから出来なかったのか。それとも、メリル・ストリープトム・ハンクスが初めはお互いに反発し合っている、という設定は女優と俳優が偉すぎて描けなかったのか? 

 

事実ベースのサスペンスにするか、女性の成長物語にするか、二兎を追おうとして中途半端になってしまった。理由は、前者をトム・ハンクスと同僚が、後者をメリル・ストリープがそれぞれ担当して、トム・ハンクスをかっこよく描きすぎたからだ。この二次方程式の解は、トム、メリルの両者ともに欠点があり、反目し合っている状態から開始した、ピンチをくぐり抜ける過程でお互いをリスペクトするようになって、これまで嫌っていた要素を相手から取り入れる事でそれぞれ変化する、という物だ。この時変数AはBによって説明され、またその逆も成り立ち、一元化する事で値が導き出される。理想的な解としては、A=1-Bというものだ。

 

私の勝手な案としては、例えば具体的には、トムは事実を追う事には優れているがその為に部下を危険な目に合わせて後悔する。人は真実だけでは生きていけない。一方メリルは従業員を養うので精一杯でその為に政権に屈服して真実を伏せようとする。お互いに相手を嫌悪しているが、共通の敵としてニクソンが悪質な手を使ってきた事で協力する。メリルが嘘をついてでも会社と従業員を守ろうとするところを見てショックを受けるトム。また同時に真実を追求するために体を張るトムを見て、アメリカの民主主義という大きなものを守ろうとしているトムを見て、ただの仕事を超えた価値に気付くメリル。そして両者が協力してニクソンの謀略を撃破していく…となると、おもしろいのだけど。しかし事実に基づく話なので、盛りすぎてはいけないか。

 

ともあれ、トム・ハンクスを完璧に描いてしまったことがこの映画のミスだ。

 

いや、しかしトム・ハンクスも真実を報道することというより、ライバルのニューヨーク・タイムズに勝ちたいという欲望が前面に出ていたな。段々この映画がよくわからなくなってきた。